江戸後期の僧、書家、詩人、漢詩人です。出雲崎町の橘屋山本家の長男として生まれました。幼名は栄蔵といい、15歳で元服し文孝と名のりました。安永4年(1775年)備中国玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚が光照寺滞在中感銘し、随行して玉島に赴き20年間師事しました。中国、四国、九州を行脚し、京都から高野山に上り40歳を過ぎてから越後に帰り、寺泊等を転々とし、国上の五合庵、乙子神社で過ごし、島崎(和島地域)の木村家で晩年を過ごし、天保2年正月6日に遷化しました。良寛さまは、生涯寺を持たず托鉢生活を営み、人に法を説くこともせず、多くの人と親しく交わりました。